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2005年11月25日

「モヒカン族の本質」が釣りだった件、とそのお詫び

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自サイトでミニ炎上を起こしてAnalyticsで解析したかった
正直モヒカンはどうでもよかった
(otsuneに釣りと看破されたのて)今は後悔している

 
 
はてなブでのotsuneさんのコメントが全てです。釣るの下手すぎだ俺。欝だ氏にたい。 

基本的にエントリー内のモヒカン云々は全てノイズです。ごめんなさい。没エントリの「サービスの設計者」という記述を「モヒカン」に置き換えて、電波フレーズをトッピングしただけでした。非モテやムラ社会みたいなデリケートな場所にハンドアックスを投げつけるのは罪悪感があったので、虚構っぽいモヒカンの後頭部を狙ったしだいです。

まじめにコメントやトラバしてくださった方々にあまりにも申し訳ないので、せめてものお詫びに「コメント問題」にマジレスしてみようと思います。

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はてなブクマの問題について


第一に私のポジショニングを説明し価値観のすり合わせを行い、続いてその観点から問題を考察します。そして最後に、そのポジションからの問題への対策案を提言していきたいと思います。

立ち位置について
端的に言うならば、私のポジションは徹底的な実利主義者です。現実世界で実際に動作するか否か?ということが行動基準になります。ただし、実験やプロトタイピングといった、未完成を前提とする状況では、手持ちのカードを確保する為に非現実的なアイデアも積極的に検討します。

本文で、私がデザインやロジック、システムといった言葉を使う場合、それは「サービスを設計すること」への言及です。いわゆる狭義の意匠やエンジニアリング、プログラムといった上層レイヤーはここでは扱いません。

私自身は、ネット上でのリテラシーの格差衝突を解決する為には、究極的には2つの方法しか存在しないと考えています。1つは個々のリテラシーの底上げ、もう1つはネットをより現実社会的なポジションへシフトさせ社会的な抑止力を創出することです。よって議論すべきは、それらをいかに実現するかだと考えています。


また私は性善説も性悪説も信じてはいません。ゆえに、問題を不特定多数のユーザーの善意に委ねることは基本的に好みません。そして人間の行動や意思決定は、大部分が環境によって規定されているとも考えています。極論を言えば、環境をどう設計するかで、特定状況下での人間の行動を規定できるという考えです。過剰に評価はされてますが、音極道茶室さんのおっしゃるCODE=法に近いスタンスでしょう。ただし私の場合は、コードではなく「環境の設計=法」となります。

よって問題解決において、同種の不具合が定期的に発生する問題は、環境設計のミスであると考えます。今回の文脈では、リテラシー格差の衝突が起こるのは、環境(はてなブというサービス)に「格差の発生」あるいは「衝突の誘発」を生み出す因子が存在する(あるいは抑制する機構が欠如している)と考えます。

以上のようなポジションをベースとした具体的なスタンスは、過去エントリの「質問厨房がウザイのは、サイトの設計に問題があるんじゃないのか」などを見ていただければ、掴んでいただけるのではないかと思います。

問題に対する考察
さて以上のような観点から、いわゆるコメント問題を見てみます。コメント問題の経緯についてはこちらのページなどを参照してください。

現在発生している事象としては、

・はてなブのコメント欄に誹謗中傷を書き込むユーザーがいる
・誹謗中傷を見たて、精神的不快感を覚えたり、またブログ管理者がブログを閉鎖するケースが発生した。

状況を誘因となる問題としては

・コメントを書く人間にリテラシーが足りていない
・それゆえに本来クローズドで語られるべき陰口が、パブリックに公開されている
・コメントを読む人間にリテラシーや耐性が足りていない

そして、それを創出する設計的な問題としては

・リテラシーの低いユーザーに、リテラシーを必要とする機能が開放されている。
・抑止機構が存在していない、あるいは機能していない。

が存在します。また、そのような設計となる原因としては

・初心者参入の敷居を低くしている
・ユーザー層に新陳代謝が起こることで、コミュニティ内のリテラシー底上げができない

が背後に見えます。大まかにいってこれが問題の構図と考えられます。

さて、これに対していくつかの提案がされているわけですが、いわゆる「コメントの廃止」、「コメントを隠す」という対応案は、この一番上辺のレイヤーでの対応策なわけです。解決はできるものの失われる利便性も大きい対応でしょう。いっぽう、はてなによる「制裁」は、抑止力としてのレイヤーで機能しますが、ユーザーが循環する為に結局は今回の騒ぎが忘れれば、結局は定期的な制裁という、事後的かつ最悪の手段によってしか機能しません。

一方で煩悩是道場の方は、ソーシャルキャピタルの創出によるリテラシーの底上げという、二層目のレイヤーでの解決策を模索しているわけですが、はてなブクマ(というかネット界全般に)に、リテラシーを底上げしたり、抑止力を創出する機能がまともに実装されていない為に、残念ながら現段階では実現が難しいでしょう。よって、この方が文中で言及するように、より深いレイヤーでの問題解決(SNSなどをリテラシー育成の装置として活用することなど)が課題となります。私が性善説をまったく信じていない(その為にユーザーに問題解決を託さない)ことを除けば、立ち位置はそれほど違わないと思います。

よって、焦点となる部分は

・ユーザーのリテラシーを底上げする学習装置を設ける
・低リテラシーユーザーへの抑制機構を設ける。

の2つではないでしょうか。

解決策の提案

さて、このようなことを踏まえたうえで、今回もっともコスト対効果が高い解決案を結論から提案すると、はてなブにはてなダイアリー市民、あるいはそれに相当する機能を実装することではないかと考えます。はてな市民権を獲得するまでの一定期間は、そのユーザーのコメントをプライベートモードにするわけです。その上で、はてなに多数存在するメタブロガーによってリテラシー論ループさせ、定期的に注目エントリー入りさせることでリテラシーの底上げを狙います。

つまり、「セキュリティホールを隠す」のではなく、「ゲストユーザーに過度の権限を与えない」ことをベースに、システム的に学習期間を設けるわけです。リテラシー問題に関しては、ユーザーのレベルと行動権限を結びつけることが、もっとも確実な解決策の1つだと考えています。たとえば、市民レベル1ははてなキーワード編集権、レベル2はブクマコメントのパブリック権といったように、ネットでの学習時間をリテラシーの担保としてやればよいのではないでしょうか。SNSのように実名や人間関係を担保にしてもよいのですが、現段階ではリスクが高すぎるように思えます。

意外に思われるでしょうが、はてなブでリテラシー関連の議論を巡回させ啓蒙することは、解決をユーザーの善意に委ねるわけではありません。
はてなブクマはメタブロガーによって議論が循環する性質があります。これはダイアリとブックマークの連動などによって、トラックバックとは異なる緩い言論の生態系、第三者が議論に乱入しやすい構造が存在するからでしょう。これを利用して、定期的にコメント論争や炎上論争が注目ランクに入るように環境を調整することで、議論のループを新規流入するユーザーへの啓蒙装置を作り出そうという意図です。ちょうど雑誌が毎年4月に初心者特集をやるような感じですね。このような流れは、例えばはてなダイアリに「今月のお題」などといった、遊び機能をつけることで簡単に作り出すことができるでしょう。投げ銭とのシナジーも期待できますし。ユーザーが自発的に行うことに期待するのではなく、ユーザーが自発的に行うようなシステムを設計するわけです。

もちろん、誹謗中傷を行うユーザーの大部分が「ダイアリを使わず、かつ注目のエントリーをろくに読まない層」に対してこのロジックは機能しないという点で、銀の弾丸ではありません。しかしコメントをパブリックなコミュニケーション装置として使う場合、使用者は周りのユーザーと話題を共有している必要がある為、注目のエントリーに頻出するコンテンツには目を通す可能性が高いといえます。逆に完全に個人的な独り言ツールならば、そのユーザーのコメントをプライベート化してもユーザーに弊害はないでしょう。

多少脱線しますが、はてなのようなコミュニティでは、市民レベルの獲得にゲーム的な要素を付加することなどで、レベルアップの要素にリテラシーからめることで、楽しみつつ自然に学習を行うことも可能だと思います。これが環境の設計を用いてユーザーの行動を規定するという、僕のスタンスからのリテラシー格差への1つの回答です。

もちろんこの考え方を究極的に推し進めてしまうと免許制度ということになり、また別の問題が生まれるわけですが、これはバランス感覚の問題でしょう。

実際にこれらを行う場合には、「権限開放の基準な何にすべきか?」、「公開モードになったときに、今まで書いていたプライベート持のコメントは公開されるのか」といった細かい諸課題がありますが、これらはテスト運営を行い検証しながらバランス調整をすべきことであり、現在議論すべきことではないでしょう。

終わりに

ほとんどの方は、たかがブクマのコメント問題で、これほど考察や対策を練る必要があるのか?という疑問が浮かぶと思います。結論から言えば、この程度の問題は放っておいてもなんら問題ありません。では、なぜ無駄な思考を重ねるのかというと、これは将来起こりえる事象を想定しておきたいからです。

私は現在VIPやブログ等で発生しているリテラシー格差の衝突は、単なる前哨戦ではないか?と考えています。メディアがネットへとシフトするにつれて、格差衝突の被害は広がることはあれ減ることは決してないでしょう。もちろん、メディアシフトに応じてリテラシーの底上げは起こるでしょう。しかし、構造的に初心者に対して炎上の権限が与えられている限り、母数の増加は即、危機レベルの増大を意味します。それゆえに今の段階でリテラシー教育や格差衝突への対応モデルを検討することは、今後の大きなアドバンテージになるでしょう。はてなブクマは、ちょうど同根の問題でありながら、システムがミニマムでありモデル化しやすいがゆえに、設計レベルでの危機管理のサンプルにしやすいので、議論をする価値があると思います。


ウェ、長文テラムズカシス
議論とか破綻してたらスマス

というか俺マジキモスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

投稿者 Taka : 2005年11月25日 21:29

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» fladdict.net blog: 「モヒカン族の本質」が釣りだった件、とそのお詫び from ぴろ日記
この記事だけじゃなくて、はてなブックマークになんらかの制限を要求する意見に対して一般的に感じる違和感なんだけど、「低リテラシーユーザーへの抑制機構」を設けるので... [read more]

トラックバック時刻: 2005年11月27日 19:11

» モヒカン族に釣りは効かない from test_31331::weblog
やべ、乗り遅れた。2,3日読んでないとたまるもんだな>Feed。 [fladdict.net blog: 「モヒカン族の本質」が釣りだった件、とそのお詫び... [read more]

トラックバック時刻: 2005年12月02日 00:13

comment

私も性善説も性悪説も信じておりません。
私がWeb上でのソーシャルキャピタル創出拠点としてはてなが望ましいと思うのには「はてなユーザははてなの事が好き」という全く裏付けのない根拠が基礎になっているからなのですが、それ以上に
http://www.jri.co.jp/consul/column/data/200-azuma.html
の中にある「2.ソーシャル・キャピタル研究の流れ」の「(2)パットナムの2つの研究」であきらかなようにイタリアでは水平的な政治システムが上手く行っているという現実が存在しているという事に強い興味があるのです。
行政という流動性もリテラシもまちまちで、言ってみれば選ぶ事すら出来ないような場に於いてすらソーシャルキャピタルは創出され、運用されているという現実を踏まえて考えれば、どんなところでもソーシャルキャピタルは創出出来るのではないだろうか、というのが私の見解です。
リテラシの低い人に向けてのSNSなどを使っての教育というのは子供などに向けての行動であり、現時点ではてなを利活用している人向けの対策とは言い難いと思います。はてな内部のリテラシ向上は、はてなユーザの手によってしか出来ない事であり、そこに何らかの規制、抑制をする事で「解決」する事ではありません。
勿論「見た目」上はルールの強化で解決したかのように見えますが、それは「臭いモノに蓋をした(居づらくなったからいなくなった)」に過ぎないというのが私の見解であり、Web全体を俯瞰して見れば結果的にはリテラシが向上したわけでも問題が解決したわけでもない、という事にしかなりません。

勿論設計レベルでの危機管理は大切で、無視して良い問題ではないとも考えます。
そのような意味においては『個々のリテラシーの底上げ』『ネットをより現実社会的なポジションへシフトさせ社会的な抑止力』の二つをバランス良く考えて行かなければならない問題であるのかもしれません

by ululun : 2005年11月27日 21:28

>ululunさん

私はネットには、ソーシャルキャピタルを創出に必要な「信頼」の担保となるファクターが存在しないと認識しています。現状ではハンドル名やブログは、担保にするにはあまりに不確実であり、逆にID一元管理や実名制度は別種のリスクが高すぎる為にペイしません。

私はパットマンの原著を読んでいない為、正確な理解かどうかはわかりませんが、リンク先を見る限り

「ソーシャル・キャピタル衰退の主な要因としては、TVの台頭・女性の役割の変化(社会進出)・人々の地理的流動性の増加・ライフスタイルの変化・市民参加に関する価値観や行動の世代間変化などが指摘されている。」

というように、ソーシャルキャピタルの存続は、社会環境の運用ルールに依存しており、またネットのような流動性の高い環境ではうまく動作しない可能性が示唆されています。ですから、やはり問題解決にソーシャルキャピタルが必要ならば、ユーザーが自主的にソーシャルキャピタルを創出する方向に、バイアスをかけるシステムを構築は必須ではないでしょうか。

私はルールや規制が、「臭いモノに蓋をしする行為」だとは思いません。ルールは環境とユーザーの間に、最適戦略を生み出します。ですから、「ソーシャルキャピタル」が最善戦略となるルールと環境を作れば、当たり前のようにソーシャルキャピタルは放っておいても生まれるはずです。それが私の言う、環境の規定によってユーザーの行動を定義するということです。

幸い、はてなにはキーワードによる緩やかなつながりや、質問システムなど、ソーシャルキャピタルを創出する方向に促す装置が既に存在しています。コラボレーションを促進する装置と、共同体内でリスクを分配する装置等、あと幾つかがそろえば、うまく動作する可能性は高いと思います。

以上が私の考えるソーシャルキャピタルへの具体的なアプローチです。

ところで、私にはululunさんがソーシャルキャピタルを実現する為には、どうすればいいとお考えなのか、実現のビジョンが見えません。ブログ内ではユーザーの善意を信頼しているように見受けられたので、性善説という表現を使っていたわけですが誤読のようでしたら申し訳ありません。

by Taka : 2005年11月27日 22:26

この問題の解決の暁に、
google以後の世界と、民主主義の先の未来が見えてならない。
だからこそ解決が難しいわけだが。
ただ、立ち向かうことには大きな意味があると思うよ。
50年後くらいの人たちに期待。

by Anonymous : 2005年11月27日 22:33

そもそも「直リン禁止」の大事さをモヒカン族は解って欲しいなあ。
つまり現状の仕組みで「直リン禁止」を謳えるかどうかって事じゃなくて、
直リンを禁止できる仕組みを欲しがってる人は世の中に一杯いるって意味で。
そういうニーズがあるんだから、汲み取る人が居てもいい。

SNSなんかは、それで大分うまく回ってるような気がする。
(コミュニティ、日記の非公開って奴。)

by AnitaSun : 2005年11月27日 22:44

> リテラシー格差の衝突

どんな社会にも強弱はあるので、「弱者はおとなしくしてる」ってのが第一の身の処し方だと思うヨー
メディアを扱うってことは諸刃の剣ってのは当然なわけでー。
馬力の大きなスポーツカーに免許取立ての人が乗って事故すんのは仕方ないんじゃないかなあ。

by nomad : 2005年11月27日 23:01

最近、本格的にハテナ(ユーザー)がしょぼくなってきてるキガス。

くだらないジャーゴンの多用とか、低レベルななれあい、けなしあいとか、つりとか。

たかが200程度のブックマークでウェブの話題の中心にいるかのような錯覚。

ちょっと前の2ちゃんがつまらなくなっていったとそっくりだとかオモフネ。

by どうでもいいけど : 2005年11月27日 23:38

>AnitaSun
MSNで言ったように、サービスとして無断リンク禁止を提供するのはアリだと思う。ただ、これが多数派になるとネットのルールが大変化する可能性が高いので、慎重な人が多いんじゃないかな。

>nomadさん
弱肉強食は世の常だと思うけど、ある程度一般化してくるとそうもいってられなくなる気がするっす。少なくても、何が危険かという基礎知識を一般レベルが持ててないなら、なんらかの処置はすべきだと思うよ。ただ、知っててあえてスポーツカーにのる初心者はアレということで。

>どうでもいいけどさん
サービスが一般化するっていうのは、そういうことなんじゃね?音楽でもゲームでもそうだし。
初期段階が楽しいと思うなら、新しいサービスに移住しつづけるのが一番いいとおもふよ

by Taka : 2005年11月28日 00:24

この釣りってyugoの入れ知恵か?

by Anonymous : 2005年11月28日 01:16

常識で考えてそれはないだろ

by Taka : 2005年11月28日 01:20

キョロ('' )( '') キョロ

by Anonymous : 2005年11月29日 00:54

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