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2005年05月28日

一万円にどうして価値があるか分からない?ははは、バカだなあ。一万円くれたら教えてやるよ

[R30]のトートロジーに熱くなるを読んだのだけど、イマイチわからないことがる。

トートロジーというのは、「頭が頭痛で痛い」みたいな頭が悪そうなループ文のことだ。まぁ文学表現でもあるけれど。ここ参照

何がわからないかというと、エントリ内で言及されている内田樹先生の文に、

「一万円にどうして価値があるか分からない?ははは、バカだなあ。一万円くれたら教えてやるよ」 という文て変でしょ?

とあるのだが、これのどこがトートロジーだかよくわからんのです。

氏の文中にはさらに2つトートロジーの例があるが、そちらは僕にも理解できる。まず、

この種のテクストでは「女性性とは何かが定義不能であるということは、女性自身にもよく理解されていない」というようなあっと驚く論点先取の文章に出会うことだって珍しくない。

これは解る。「女性というものが定義不能である」としておきながら、定義不能なはずの「女性」を対象とした批判をしているからである。

またもう1つの文章

だが、「サルトルはついに『見える、見えない』という光学的な比喩の枠組みから出ることができなかった。ここがサルトル哲学の盲点である」という結論にはびっくりした。

これも解る。
「見える、見えない」という比喩に囚われていることの批判に、「盲点」という光学的な比喩表現を使っているからだ。糾弾者自体が糾弾点を抱えている。

しかし、

「一万円にどうして価値があるか分からない?ははは、バカだなあ。一万円くれたら教えてやるよ」 という文て変でしょ?

これはサッパリわからない。
この文章には質問者と回答者の2人が存在している。そしてこれには2つのケースが考えられる。

第一のケースでは、質問者は「一万円に価値がある」ということは認識をしているが、「一万円に価値がある理由」がわからないと言っている。それに対して回答者は、その解答を「一万円」と交換しようと提案している。質問者が解答と1万円が等価だと判断すれば通商が成立する。いたってまともだ。

第二のケースでは、質問者が「一万円に価値がある」ということを理解できずその理由を知りたがっている。この場合、交換をして一万円の価値を知ったときには、一万円はすでに手元に存在しないため、ビジネスとして矛盾をしている、これを指してトートロジーということなのだろうか?
しかし、この矛盾が成り立つのは、一万円が非常に限られたリソースの場合のみである。質問者が百万も二百万も持っていた場合は、一万円の価値をしる為に1万円を消費するのは極めて真っ当である。つまりそもそも普遍的ではない。

多分、僕がなにか根源的な勘違い、ロジックの整合性の混同しているのだろうと思うのだけど、わからない。
誰かわかった人は教えてください。

投稿者 Taka : 2005年05月28日 20:32

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はじめまして。こういうのをトートロジーというのですね。
で、
質問者はたぶん一万円自体の価値はわかっているのだとして「ただの紙切れである一万円札に一万円分の価値があるのがわからない」という質問をしたことだと解釈するとなんとなく理解できる気がしますね。それでもトートロジーとは違う気もしますが。

by imazion : 2005年05月28日 22:16

内田樹さんのエントリーはトートロジーというより、「直感的にヘンな議論が、ロジカルな文脈でまかり通る不思議」について書いてるんじゃないですかね(じっさいトートロジーという言葉はつかわれてないし)。

だから「1万円」の議論をするための交渉に「1万円」が登場するのは直感的にヘンで、だから笑えるでしょこの話、ということだと思うんですが。

by dotimpact : 2005年05月28日 22:48

はじめまして。
はずしているかもしれませんが、一万円の価値を知らない人に、「一万円くれたら教える」って言った時点で、すでに一万円に価値があると教えているようなものだからではないでしょうか。

by sugi2000 : 2005年05月28日 23:26

一万円にどうして価値があるか分からない?
ははは、バカだなあ。一万円くれたら教えてやるよ。
ほら、早く渡してみろよ、渡せないだろ?

って意味じゃないの?

by anitasun : 2005年05月30日 00:19

うむー。
一万円=お金の存在が何かを得る際の対価として機能する、ということが認識できて無いなら、
「一万円くれたら教えてやるよ」
「うん、よろしく~」
という会話が発生した時点で、回答に対する対価としてお金を使用するので、居るであろう分かんない人の疑問自体が矛盾している。

一万円という金額の価値が分からない、というのであれば、一万円を要求した奴は、それをしっかり教えれば良いだけなので、特に問題は無いんでわ。
一万円ならこういうことができるよ~、だから価値がある!とか、
やっぱ諭吉状態だと千円札10枚より使いにくくて価値がある?とか・・・。

まぁ、結局よく分からんかもー。

by K o z : 2005年05月30日 18:01

みなさん、どうもありがとうございますー。
なんとなく理解がつかめてきました。

たぶん、トートロジーではなかったんでしょうね。コレ。
その上で、会話の中で、「1万円の価値を教えることに、1万円の価値がある」って、1万円の用途と価値を示しちゃってるあたりがアホっぽいのかもしれません。

by Taka : 2005年05月30日 18:09

貨幣価値というのは何かと貨幣を交換することで利益に還元できるわけで、価値がわからない人間が、貨幣を情報という自分に価値あるものに還元するということにトートロジーがあるのではないでしょうか。

by yukiex : 2005年05月31日 05:53

「1万円払うから1万円の価値を教えてくれ」という一人の発言に集約すれば、トートロジーかもしれませんね。

by dotimpact : 2005年05月31日 15:02

色々解釈があるなーと関心する日々です。
なんか仏教の禅問答みたいになってきた(←微妙にトートロジー?)

by Taka : 2005年06月01日 21:13

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